:: back :: :: top ::  

 
» 元始女性は太陽であった » date : 2005/01/04  
この言葉は、平塚雷鳥が、封建的家族制度に反対し、女性の権利を求め、運動を起こしたときに彼女が訴えた言葉である。

私は、良妻賢母的教育の悪い点を指摘し、陰の存在の月のような生き方ではなく、太陽であった頃の女性に戻ろう!というような意味に解釈している。

彼女と与謝野晶子さんが論争を繰り広げてるような書物もあるみたいだけれど、なんだか私には、彼女は、女性の権利を主張した点、女性の地位向上を促した点など様々ないいところもあるけれど、一方で、腑に落ちない点を感じる。

そして、それは、現代女性の考え方で危惧しなければいけない点に重なりあう。

昨今ブームの細木数子さんのテレビ番組を見ていた。
女性達の生き方や男性に対する考え方のアンケートのようなものもあり、私は、細木さんの意見に賛同した。

若いたくさんの女性が、男性のほうが女性よりバカだと思うと考えてる点に驚いた。

女子と小人は養いがたし。 孔子はこのように唱えていたが、なんだかこの言葉を感じてしまった。

この世は、男と女しかいないのだ。
お互いにその存在を尊重すべきなのだ。
なのに、返ってくる答えは、お互いに否定的な答えになる。

それはなぜなのだろう?

つまり、細木さんも言っていたが、男と女の権利は平等であるが、男と女の質が違う同質ではない。ということを混同しているという点だと思う。

まず、男の体と女の体は違う。 そこからして同じ質を持っていないのだ。

男の役割、女の役割、踏まえてこその男女平等である。

去年流行った負け犬の遠吠え。
30代 子なし 未婚の女性は、どんなにお金があってもどんなにきれいであっても
負け犬だという考えだ。

同じ女性として申し訳ないが、威勢良く仕事している女性達で立派な人を見ても、私にもそんな風にしか見えない。

結婚という事柄には、いろんな要素がある。
ただ好きな人と一緒にいるだけではない。
好きな人の周りをも愛する懐の深さ、思いやりというものは、忍耐やいろんなものを乗り越えて、自然と出来始める。
ましてや、子供など生まれるともっといろんな出来事を経験し、自己犠牲の尽くす思いを感じ始めるはずだ。それが喜びに変わることを感じ始めるはずだ。

そうして、一歩一歩成長していく。
子供が3歳になれば、親としての3歳の誕生日だ。
新たな自分の中での成長が始まる。

だからこそ、厚みのある人間になれるのだ。

しかし、雷鳥も法律による結婚はせず、現代の女性も結婚だけが幸せと捉えず、同居に対しても否定的だった。

物事の原点が、「元始女性は太陽であった」ならば、もっと明るく女性の素晴らしい質を一番輝かせるために、負け犬なんていわれない人生を歩くことだと思う。

今日の新聞にも家族という題材で、女性ばかりの暮らしが載っていた。
経済的にも昔に比べて、安定的になってきているのがあるから出来ることなんだけど、私の中にそれでも光りが見えたのは、結婚に失敗した娘達がまた再婚を望みながら親と生活をしている点だった。

やはり、原点は、明るい女性が輝くのは、男性がいるからである。







» category : 生きるということ ...regist » 2005/01/04(Tue) 10:51

:: back :: :: top ::  

:: P column M-i-O ::