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» 命と尊厳死と » date : 2005/04/02  
延命措置、尊厳死の認知と何度も繰り返した後の「尊厳死」
米フロリダ州で15年間も植物状態が続くテレサ・シャイボさんが、栄養チューブと水分の補給を取り外し、亡くなった。

そして、かたや、ローマー法王の危篤のニュースが流れている。
カトリック教徒の心のよりどころ、みんなの祈りが捧げられている。
病状が回復してほしい。そう思うのは、心からの切なる願いだ。
私たちの願いの中で、
法王は、どんな治療を施され、どんな状態でいるのだろう。

いったい、どこまでが人の自由になる命で、自分の自由になる命なのだろう。

昔は、今のような高度な治療方法もなく、自然死を暗黙の中で受け止めていたのではないか。

ネパールへ医療チームとして派遣された医師の話である。
ある彼女を診断したところ、ガンであった。
足を切断すればガンを食い止めることが出来るからと手術を勧めた。

しかし、彼女は、手術は断った。
足を切断した後のことを思う。
その後に彼女は、子供に夫に何をしてあげれるのか。
水を汲みに行ってあげる事も出来ない。 夫の世話も満足に出来ない。
それならば、精一杯できるまで、生きていられるまで、彼らに尽くしたいと言う。
自分が亡くなった後には、新しい女性を迎えて、新しい幸せを見つけてほしいという。

彼女にとって、これが自然死であった。
そして、尊厳死であった。
何よりか、彼女の証であった。

高度な医療故の様々な思惑が、現在の世の中を駆け巡る。

いつをもって、何をもって、自分の死を認めることが出来るのだろう。

命というものは、大切で、自ら命を絶つということは悪だと思うが、よく生きるために自分という存在が生まれて、そして生きてきた!というために選ぶ「自然死」という選択もあるということを忘れちゃいけないと思う。






» category : 世の中の出来事について ...regist » 2005/04/02(Sat) 21:29

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