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» 死刑はなければならない制度だと思う〜12.15の日記より » date : 2005/12/15  
世界で一番有名な死刑囚の死刑執行が昨日あった。

彼の名は、スタンリー・トゥーキー・ウィリアムズ。
1979年に複数の強盗事件で4人を殺害。高校生だった1971年にギャング団を創設し、違法薬物の取引や対立するグループとの暴力抗争を繰り広げたらしい。

逮捕された後、獄中での彼の活動は、自分が犯した罪のおろかさに改心して償いの日々。

その活動は、ノーベル賞の候補にも何度があがるほどだったようで、昨年は彼が主人公の映画まで出来たらしい。


そして、死刑執行についての減刑嘆願など支持者達が多数いたらしいが、結局、昨日、シュワルツェネッガー・カリフォルニア州知事が拒否。米連邦最高裁判所も刑執行延期請求を土壇場で棄却し、死刑執行となった。


私は、映画「デッドマンウォーキング」の場面を思う。
最後に死刑囚は言う。
「どんな場合でも、人が人を殺してはいけないと思う」と謝罪をする。
死刑囚に薬物注射のスイッチが一つ、また一つと入り、刑が進む。

対面するガラスの向こう側には、彼の付添い人と被害者の家族がいる。

どれほど、加害者は、死というものを現実に受け止め悲しみ逃避行したいと思っただろう。
しかし、被害者は、もっとつらい死を迎えねばならなかったのだ。
その現実があるのだ。

今回もたくさんの支持者の思いを死刑囚は受け止めたはずだ。
死刑反対。つまり人が人を殺すことは反対。
更生した人に道を。。

彼の命がそれほどまでに尊いものならば、
彼が奪った命も、それほどまでに尊いものだったと身をもって感じなければいけないのだ。
犠牲者は、もう、取り返す日々もなく、命をとられたのだ。
人が人に殺されたのだ。


私は、この死刑執行は、妥当だと思う。
加害者ばかり、残されたものばかりの救済はありえない。

受け止めなければいけない、償いなのだと思う。
» category : 世の中の出来事について ...regist » 2005/12/15(Thu) 06:06

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